前回宣言したとおり、18日と19日にポールの東京ドーム公演を観てきました。
2002年以来11年ぶり、その時も2度観ましたが、 今回ほどの盛り上がりでもなかったような気がします。 僕も今回は青春のすべてをかけたイベントのような高揚感ですが、 過去3度の来日公演でいうと初めての90年に1度、93年はゼロ、 そして前回2002年に2度という成績表です。 90年の時は、ほんの数日前に初来日したストーンズの方で手いっぱいで 正直ポールを楽しみにしてたって感じでもなかったんですね。 あの頃のポールのライブはバンドの感じも観る側も、 なんだかハートウォーミングな雰囲気でどうもしっくりこなくて 93年は結局観に行くこともなかったくらいでした。 2002年は大阪のチケットは手にしてましたが、 東京ドームは出張ついでにふらっと行ったら 普通に当日券が買えちゃったっていう感じでした。 あまり予習してたわけではありませんでしたが、バンドメンバーをガラッと替えて、 イケメンやスゴ腕のメンツと演ってるというところに惹かれたんですよね。 当日券で見た東京ドームは決していい席ではありませんでしたが、 やはりショウが近づくと気持ちが高ぶり、 ステージ後方のスクリーンにおなじみのヘフナーを高く掲げた ポールのシルエットが写り、1曲目の"ハローグッドバイ"がはじまると 自分自身でも考えられないことがおきました。 そう、涙があふれてきたんですね。 結局ハローグッドバイは嗚咽を吐きながら聴いてました。 よく憧れのヒーローを初めて見た時に涙が出ました…って言いますが、 初めてクラプトンを観たときも、ジョージを観たときも、 ジミーペイジやクイーンやジェフベックを観たときも泣くことはありませんでした。 初めてではないし、観る気満々でもなかったのに、 自分でも何でこんなに涙が溢れるのか戸惑うばかりでしたが、 もう10代の頃から身体に染み込んでるポールの歌声に 自分の中の何かが開放された感覚をその時確かに感じました。 20歳頃から、あれほど熱中していたビートルズをほとんど聴かなくなっていました。 何となくいつまでも聴いていてはいけないんじゃないか、 ビートルズを聴いてる時の夢見心地に浸ってたら何だか大人になれない気がしたんですね。 でもそう感じるきっかけもビートルズでした。 もちろんリアルタイムではありませんが、年代順にレコードを聴いていきました。 作品がサージェントペッパーあたりになると、 明らかにサウンドも詩も大きく変化し、聴く方にも変化が必要でした。 それを決定的に感じ取ったのが、 僕にとっては"ハローグッドバイ"のプロモフィルムでした。 それまでマッシュルームカットにお揃いのスーツで ファンに追っかけ回される映像しか知らなかったのが、 髪型もそれぞれバラバラ、髭を蓄え、楽器も見たことがないものを抱えている そのプロモフィルム自分知らないビートルズを見て ひどく動揺したのと同時に、自分の無邪気さが幼稚に感じたことを憶えています。 思えば僕はその時から一生懸命大人になろうと背伸びをし続けてきたように思います。 前回来日した2002年11月ごろ、僕はある意味社会人としてピークにいました。 バブル期も経験してますが、その時以上に忙しく責任ある立場になってました。 それと引き換えにずいぶんプライベートを犠牲にしてたように思います。 そんな毎日にどこかやるせない気持ちを抱えていたんですね。 そこにポールのライブ…おなじみの歌声…それも"ハローグッドバイ"… ポールが僕に「今まで君は十分頑張ったよ!!もう無理することはないから自分の思うとおりにやりなよ!!」って言ってくれたような気がしたんですね。 それが溢れる涙になったんだと今でも確信をもっています。 確かに僕はそれから気が楽になったし、 嫌なことはハッキリNOというようになりましたね。 なるようになるさと思えるようになったことが、 在籍していた会社が倒産という困難な局面にあたっても、 自分たちで会社設立しちゃえっていうポジティブな考えが出来たんだと思います。 だから今のスローハンドがあるのもポールのおかげなんです。 長々と綴りましたが、おそらく最後の来日公演であることにもまして、 そういう想いを抱えて、今回の来日公演を観に行ったわけです。
by slow-h
| 2013-11-22 00:17
| 音楽よもやま話
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