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by slow-h
| 2018-08-18 11:08
| 音楽よもやま話
今から30年前の1987年、
僕は大学を1年留年してしまい5年生を過ごしていました。 就職もなんとか決まって、 日々のんびりしていたこの年の秋、 当時出始めたCNNのショービズトゥデイを見ていたら、 なんとジョージハリスンがインタビューに答えているではありませんか!! その前から何となくレコーディングをしているらしいとのうわさは聞いていましたが、 もう5年近く表舞台を遠ざかっていたので、 いつのことになるのかなぁと、あまり期待せずにいましたが、 わりと早くにそのアナウンスが届きました。 1987年11月1日、今から30年前のこと 待ちきれず発売の前日に横浜の六角橋商店街にあった 小島レコードを覗いてみると、 すでにジョージの新作「クラウドナイン」が置いてありました。 もう迷いなく手にとり、一目散にアパートに帰って 聴いたことを、今でもはっきり憶えています。 しばらく不遇な作品だったので、 正直あまり期待していなくて、聴けるだけで十分だったのですが、 いい意味で裏切られる内容でした。 とてもポップで、その時代の音で、 当時全盛期だったミュージックビデオもしっかり意識した作品でした。 もちろんジョージ特有のメロディラインも愉しめ、 本当に待っててよかった!!と歓喜したものです。 それから数ヵ月後には、 シングルの「セットオンユー」が全米ナンバーワンになったりして、 1987年の終わりは、ちょっとしたジョージブームのだったんですね。 前作ゴーントロッポは1982年発表でしたが、 ほとんど話題にならず、その後の5年の沈黙。 ビートルズファンになった1977年から87年の10年のうち、 半分はジョージは音沙汰なしだったわけですから、 このときの喜びは相当でした。 だるまに目をいれましたから(笑)。 もうジョージがいなくなって16年。 クラウドナインの喜びとジョージの死の悲しみ。 11月は僕にとってそんな月です。 #
by slow-h
| 2017-11-05 15:10
| 音楽よもやま話
敵視していたくらいの存在だったデュランデュランのライブを 心待ちにして観ることになるなんて、 ほんとうに人生ってわからないものです。 マイケルもプリンスもホイットニーもジョージマイケルまでも 早くして逝ってしまい、 80年代を席捲していたアーチストがどんどんいなくなってしまいました。 もちろん、まだまだ頑張っている人はいっぱいいますが、 当時の輝きを保ったままというのは、 もうマドンナとデュランデュランくらいでしょう。 あれほど嫌っていたいわゆるエイティーズを きちんと対象化して聴くようになったのは、 ここ15年くらいでしょうか。 なかでもデュランデュランはメンバーの変遷はいろいろありましたが、 今ではアンディテイラーを除くオリジナルメンバーで 30数年バンドを続けています。 そのことに何かしらの意味があるのではないかと、 ここ数年ずっと考えていました。 嫌いだったとはいえ、当時はLP(CDじゃなくて)を買ってましたし、 MTVを見れば否が応でもデュランデュランが目にはいります。 ヒットチューンはほぼ聴いてきました。 聞くところによると、 今回オーディエンスの半分は僕のようなおじさんだったとか。 これまではやはり女性が大多数だったようです。 おそらく僕と同じように、 当時はあんまり好きではなかったけど、 ここまで頑張って続けていることに敬意とシンパシーを抱くようになった 男性ファンが増えてきたのではないかと考察します。 ショーの途中、オーディナリーワールドの前に、 サイモン・ル・ボンは少し長めにしゃべりました。 英語ですからすべてを理解はできませんでしたが、 「核戦争の危険が近いと感じている。センシティブな問題だけれど、 平凡な世界がずっと続くことが一番なんだ・・・」 というようなことを語りかけて、 オーディナリーワールドを演りました。 もしかしたら、ありきたりなのかもしれませんが、 彼らは愛と平和を希求するために ずっとバンドを続けているのかも、と感じました。 それが大きな理由だとしたら、 この先彼らはポールやストーンズのような存在になりうるとさえ思いました。 それくらい、いろんな要素が詰まった いいライブでした。 一番好きなリフレックスは結局日本では演らなかったけれど、 僕としては、カバーだけれどホワイトラインが聴けて 十分満足いくものでした。 おそらく次回は半々という男性率が女性を上回ると思います。 80年代の落とし前をつけ続ける、 デュランデュランは素敵だと思います。 それにしても、 前座としては贅沢すぎるナイルロジャース。 反則!! レッツダンスはボーカル以外ほぼそのまま。 本編の前に会場を温めすぎたような気がします(笑)。 #
by slow-h
| 2017-09-23 12:12
| 音楽よもやま話
9月になったとたんに、涼しくなり
セミの鳴き声より虫の鳴き声の方が勝るようになりました。 個人的には、もう少し夏の余韻も愉しみたいところなんですが、 暑いのがキライな人は、やれやれという感じでしょうね。 さて、我が家は暮らし始めて3回目の夏でした。 指標となるのはエアコンの稼動回数と時間です。 最初の夏は(一昨年)、リビングのエアコンは1回だけ、時間にして4時間くらい。 寝室のエアコンは寝るときにタイマーで2時間程度を10日くらいでした。 昨年は深夜にオリンピックを見たりしたこともあって、 リビングのエアコンは7~8回、時間にして30時間程度つけました。 寝室の方も1週間くらい毎夜寝るときにタイマーで2時間くらい。 そして今年ですが、 リビングのエアコンは、1回だけ時間にして5時間程度。 寝室のエアコンは2回。時間にして3時間か4時間くらい。 8月24日に、浜松でこの夏最高気温を記録した日は、 夜7時を過ぎても室温が30度を下らず、 これはつけたほうがいいと思い、エアコンのリモコンに手が伸びました。 ところが、つきません。 この大事なときに、なぜか電源のランプが点滅しています。 こんなときは一度コンセントを抜いて、差しなおせば・・・と思い やってみたのですが、ダメです。 指で数えるほどしか使ってないのに壊れるの!?と、ちょっと腹立たしい気がしましたが、 さらにブレーカーをオフにして、再度オンにしてみると ようやく動きました。 おそらく、まったく使ってないのにコンセントに差していたことが よくなかったようです。 結局その日も2~3時間つけて寝るときは自然の通風で寝ました。 我が家はとにかく南側が果てしない田園なので、 そこからやってくる風が室内に涼をもたらしてくれるのと、 今年は過去2年より、そよ風の夜間冷風取り込みが効いた気がします。 立地によって違いはあるとは思いますが、 エアコンに極力頼らないくらしは可能だと実感しています。 #
by slow-h
| 2017-09-03 15:05
| 住まいのようす
ビートルズがサージェントペッパーを世に送った1967年、
その1年前には武道館で来日公演をやっていて、 たった1年で、同じバンドなのにその変化には、 当時ダイレクトに見ていた人は、 理解を超えた感覚だったでしょうね。 さて、同じ頃の日本はどうだったかというと、 なんとこの1967年の10月から ウルトラセブンの放映が始まっています。 円谷プロのウルトラシリーズのなかで、 圧倒的なクオリティを有しています。 そのウルトラセブンの放送開始50年記念のイベント 「モロボシダンの名をかりて」を 先日まで開催していた横浜・高島屋まで見にいってきました。 40周年のときにもたくさんこういったイベントを行ってましたし、 3年前には浜松でもイベントがあって、 モロボシダンの森次浩詞さんにもお会いできたので、 イベントそのものでのあまり新しい発見はないのですが、 以前は夏休みになるとルーティンのように出かけていたロケ地めぐりを、 イベントついでに10年ぶりにしてきました。 「狙われた街」に出てくる向ヶ丘遊園地駅前や、 「第4惑星の悪夢」に出てくるたまプラーザの団地、 それ以外にも砧公園付近のロケ地も。 特に今回初め足を運んだ「第4惑星の悪夢」や「ダークゾーン」にも出てきた 世田谷総合運動公園体育館には、相当感性が揺さぶられました。 とにかく昭和感が建物の外観だけでなく、 内部空間にも溢れていて、 ほんとしばらくそこに佇んでいたくらい。 とにかくミニマムなんです。 総合運動公園の体育館なので、客席もあるのですが、 フロアとめちゃくちゃ近く、 そのフロアは地下に掘り下げて造ってあるんですね。 外観も特徴的な三角錐で、 大きく見えるんですが、実際はわりと小さい建物なんです。 昭和の頃に描かれた未来な感じが、 ロケに選ばれた理由ではないかと思えます。 まだまだこういった発見、それをみて感じることがあるので、 もう封印しようと思っていましたが、 時々ロケ地めぐりもしてみようと思います。 それにしても、もし僕が今の感性をもったまま 1967年にティーンエイジだったら、 ビートルズを聴いて、セブンを観て、の毎日で とんでもないダメ人間になっていただろうなぁ。 #
by slow-h
| 2017-09-02 15:27
| 雑記
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